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Evernote for iPhone ヴァージョンアップについて [考察]

うらやましい。 まずは、うらやましい。
私はiPhoneユーザーではないので。

とりあえず、アプリの重要性を認識していたEN社の得点。

ツイッターのハッシュタグを追うと、いろいろマイナートラブルは出るようだが、概ね全体的な評価は高い。
マイナートラブルに丁寧に対応していけば、ユーザーの忠誠度は向上するだろう。
ユーザーは「自分はやはり見る目があった」と自分で納得できる。

これから、他のプラットフォームにも同レベルのアプリを提供していくことになるだろうが、 大変な作業は続いていくのだろう。 「あれと同じ機能を早く出して」とユーザーはうるさくなる。 まったくユーザーは勝手だ。
しかし、カメラや音声との同時記録はiPhoneの特性を活かした設計なので、デスクトップ用については、また違ったインターフェースを作らないと、ユーザーは納得しない。
ギャラクシー某のスマホとタブレットの関係で、特にタブレットを「拙速」販売したことの「評判」は、みんな見ての通り。

いずれにしても、「多重メモ」の一つの形を、アプリとして提示できたことは大きいと思う。
では多重メモの利点はなんだろう。
記憶は、元々多重化されている。 というか、感覚器は単独で機能していない。

記憶術における位置情報の活用は、一つの定番だし、ある感覚(味覚や嗅覚)が、特定の記憶を引き出すことも良くある。
私は、転勤族の子供だったので、段ボール箱の匂いが、悲しい感覚に直結している。 感情の動きなので、情報の想起とは違うかもしれないが、中身の無い「悲しい」という感覚だけが想起される。
多くのメモから必要な情報を引き出すのに、いろりろな手掛かりが使えるのは、元々の記憶の想起に近づくことになり、自然な流れなのだろう。

メモの機能は、単に記録と想起だけではなく、何らかの「表現」でもあるとすると、多重化されたメモは表現の幅を広げることになる。
記憶の想起にダブることだが、そのメモの情報を表現するのに、多角的な情報があるのは、アクティブに訴求できる可能性がある。 たとえ見ているのが自分だとしても。


一方、これらの点は、ライフハックのような価値観の上で、必ずしも好ましいことではないかもしれない。
冗長な情報のなかから、仕事や生活を処理しやすくするためには、むしろ冗長度を削減することが必要な場面はいくらもある。
一貫性をもって仕事や生活に取り組んで行こうとしているのに、複雑で混乱した状況から、冗長な情報ばかり切り取って記録しても、処理しやすくなるとは限らないから。
冗長度を下げた上で、必要な情報は確実に伝える。 情報理論だな。
情報溺死しないように、状況をコントロールできるようにする技術は、方向性が違う気がする。


むしろ、多重メモは、メモの「楽しみ」を多くする、娯楽としてもメモに有効かもしれない。
娯楽としてのメモ・・・。 日記は「使える」から書いているのではないから、娯楽としてのメモはアリだと思う。

私の場合は、「Evernote猿」状態なので、最初に書いた通りである。
うらやましい。 ただうらやましい。
タグ:Evernote
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